花林糖(かりんとう)の起源
聖徳太子の時代に大陸との交通が開け、遣隋使(574〜620年頃まで)によって大陸文化と共に菓子も直接輸入されるようになり、これが現代菓子の始まりといわれている。
630年〜894年の間、遣唐使によって8種類の唐菓子と14種の果餅が伝えられ、非常に珍重されたが、その中で小麦粉を捏細長くし、結び緒の様な形にして油で揚げた結果(かいなは)など、今日の揚げあられ、花林糖(かりんとう)と変わらないものがあり起源であるとおもわれる。
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−歴史−
遣唐使によって輸入されるようになった数種の揚げ菓子は、京都から江戸へも伝わり上菓子の一種として珍重されてきた。
享保2年頃から江戸人好みの雑菓子が創作され、その中には江戸時代中期(1740年頃)以降に作られたもので、小麦粉を捏ね板状にして揚げたものがあった。これは花林糖(かりんとう)という名称こそ用いていないが花林糖(かりんとう)そのものであった。
明治8年(1875年)に浅草で棒状のものに黒砂糖をつけたものを売り出して好評を博し素朴で単純な甘みが大衆に支持を得て下町一帯に広まったとされている。
その後、明治、大正となって売れ行きは衰えず、昭和となり益々盛んになった。
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−花林糖(かりんとう)に黒砂糖が使われた理由−
花林糖(かりんとう)に黒砂糖が使われた理由は、江戸時代末頃、白砂糖は上菓子にしか使うことを認められず、花林糖(かりんとう)を含む雑菓子はすべて黒砂糖しか使うことが出来なかったという時代的背景の影響と思われる。
−花林糖(かりんとう)の名称−
菓子の名称には、その形、色、香りからのものと食感からつけられたものが非常に多い。花林糖(かりんとう)の名前も、その由来には諸説があってあまりはっきりしていない。
一説には安土桃山時代に唐人によって長崎に伝えられ「花林の木の色に似ている」ことから「花林糖(かりんとう)」と名づけられたと言われているが、別説には「かりかり」という音をそのまま「かりん糖」と名づけたともある。
ちなみに誕生の由来にも長崎と江戸の両説ある。
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